堺で生まれ、わび茶を大成したことで知られる千利休。
織田信長・豊臣秀吉に仕え、最後は秀吉に切腹を命じられその生涯を閉じます。
しかし、千利休が最後まで追求した「足りないからこそ美しい」というわびの精神は、今も日本人の文化に強く根付いています。

堺市で生まれた千利休の華麗なる功績
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋の長男として生まれ、17歳で茶の湯を学び、のちに茶人武野紹鴎に師事し、わび茶を大成させました。
信長・秀吉に師事後は、黄金の茶室を設計、聚楽第内に屋敷を構え、築庭にも関わります。
また、禄も3,000石を賜わるなど、天下一の茶匠として名声と権威を誇りました。
そして、現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
<利休が堺に遺したゆかりの遺跡>
千利休の生家である屋敷跡には、千利休が茶の湯に使っていたとされる「椿の井戸」があり、今も多くのお茶を愛する人が訪れます。
その井戸には椿の炭を底に沈めていたといわれ、井戸屋形は、利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てられたものです。
また、この地には、千家茶道の発祥と発展にともない、くるみ餅、芥子(けし)餅、肉桂(にっき)餅、大寺餅といった堺銘菓を扱う和菓子店が、今も周囲に多く存在します。
ほかにも、千利休が茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めた場所とされる南宗寺、庭園に千利休が寄贈したされる「六地蔵灯籠」や「瓢箪型手水鉢」がある妙國寺など、堺市には利休の愛した茶の湯の文化が息づいています。
条例によってお茶の文化を後世に伝える堺市
堺市は、平成30年10月「堺茶の湯まちづくり条例」を施行しました。
その前文で、以下のように宣言しています。(「堺茶の湯まちづくり条例」平成30年10月1日施行 概要より抜粋)
「堺は、中世、世界に開かれた貿易都市として発展を遂げるとともに、町衆が治める自由・自治都市として繁栄し、進取の気風に満ちあふれていた。
その中で、今井宗久、津田宗及、千利休等の多くの優れた茶人が生まれ、なかでも千利休は、わび茶を大成し、茶の湯に大きな足跡を残した。
茶の湯は、美術、工芸、書画、生花、料理、菓子等の幅広い分野にわたるものであり、世界に誇るべき日本の文化として連綿と息づいている。
堺では、現代においても、市民、事業者等によって様々な茶会が催されるなど、茶の湯を楽しむ文化が受け継がれている。
私たちは、これからも、茶の湯を楽しむ文化が大切に育まれてきた堺を誇りに思うとともに、これを次世代に引き継いでいかなければならない。
ここに、茶の湯の文化が息づくまちをめざすことを決意し、この条例を制定する。」
現在もこの条例に基づき、堺市限定で千利休の遺跡を紹介するツアーやイベントなどが行われ、日本人ならではの「お茶をたしなむ文化」が継承されているのです。

まとめ
堺市は、世界文化遺産や 千利休によって遺された「茶の湯」文化が存在する、歴史のロマンあふれる町です。
また、近代的な製造業と大阪都心へのアクセスにも恵まれた住みやすい町としても知られています。
堺市ならではの 歴史・自然・産業が織りなす調和を、ぜひ体感してみてくださいね。
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